読書差別解放に向けて

人文学と批評の使命―デモクラシーのために

人文学と批評の使命―デモクラシーのために

今更ながら読みました。今思うと、この本はサイードにとっての絶筆(「まえがきまで本人が書き、完成させた本としては」)であるだけじゃなくって、訳者にとっても最後の本になってしまったなあ。
「知識人」の役割(仕事)としての「世俗批評(worldliness)」、文献学の擁護といわゆる新歴史主義への共感と、これまでのテキストにおけるサイードの立ち位置は本書でも基本的に共通している…といっていいのでしょうか(>もぐらさん?)。
おそらく強調するべきなのは、そうした立場を通じてサイード

「ヨーロッパ中心主義だけでなく、アイデンティティそのものに結びついた複雑な態度全般を、意識的にまた決然と、振り払わなければならないように思える」

と考え、アイデンティティのパワーゲームに堕したカルスタや一部の左翼批評を手厳しく批判しつつ、それを超越した「人文主義(humanities)」の復興を夢見ていたことだと思います。こうやって書くとウォルター・ベン・マイクルズ辺りと言っていることや方法論がわりと似ているような。
個人的には、(誰かも書いていたけど)以下のくだりが大好きです。

性差別やエリート主義、高齢者差別や人種差別が存在するのと同じように、唾棄すべき「読書差別」とでも言ったものが存在しており、読むことをあまりにも深刻かつ愚直に考えると、根本的な問題を作り出すと考えられているのだ。

立ち上がれ、同志!